ふわふわした生き方
私はふわふわ生きている31歳主婦。自分が何者にもなれないとやっとこさ悟り、今一番すべきことは家族を大事にすることだと思っている。次いで国際結婚・子供がハーフということもあり英語ができるようになったらいいなと思っている。
英語への思い入れはあるもののかなりスローペースである。
やはりふわふわ生きている。
そんな私にもかつてあることに一途、本気で生きていた時期がある。
小中高続けたバスケットボール、まあ通称バスケですな。
私は中途半端に運動神経が良く、小中では努力しなくてもスポーツなら大体学年3番くらいには入れた。バスケもそんな感じで小学校は普通にスタメン(ゲームスタート時からコートに入るスタートメンバーの略)、中学はキャプテンだわ地区の代表に選ばれるだわで完全に調子に乗っていて、高校はバスケの強いところに行って将来的にもバスケ関係でいきたいかな~など漠然と夢を膨らませていた。
無事希望したバスケの強い高校に入れたのだが、何とどれだけ頑張ってもスタメンにかすりもしなかった。中学の時一緒に地区代表に選ばれていた他の中学出身の友達は全員スタメン入りしたのに私だけがかすりもしなかった。
先生は言った。コートで役に立ちたかったら何でもいいから何か一つ、これだけはこのチームで自分が一番というものを作れ!!!
私は鵜呑みにして持久力を私のそれにしようとした。
毎朝5時半に起きて朝練に向かいみんなが引くくらい毎日走り込んだ。
そして持久力はチーム1だと数字で(タイムで)示し続け、チームみんなが持久力においては私を認めてくれた。
ずっとベスト記録を残し続けたのに先生はそれに気づかず時は流れ、一個下の天才的
な後輩が大した努力をせず(朝練に来るのも遅く走り込みはしていなかった)簡単に私の記録を破ってしまった。
悔しかったけどそこから本当に多分一度も勝てなかった。
数日後、多分先生はよく試合に出るメンバーの色々な調子を知りたかったのだと思う。
長距離の記録をチェックして、例の一個下の後輩が最近新記録を出したと知る。
みんなを集め、一個下の後輩を褒めたたえTシャツのプレゼントまで贈った。
私は笑顔で祝福するよう努めるも泣きそうだった。チームのみんなも私がずっと一番でつい最近まで記録を守り続けていたことを知っていたので誰かが勇気を出して先生に言ってくれた。「先生、モニカがずっと誰よりも走りこんで最近までずっと一番でしたよ」
そこで私は気づいた。
自分の選択は間違いで今までしてきた努力は基本的に無意味だったとw
当時も今も先生が嫌いだけど、やっぱり走り込みにフォーカスし過ぎた自分がアホだったと思う。
やめて陸上部行けば良かったww
てかもう私はバスケ辞めたかった。
スタメン入れないならさっさと辞めたかった。
強制ショートカット。うちの高校の中で1,2を争う厳しい部活だった。
ずっと辞めたかった。
辞める勇気が私にはなかった。
最後の試合、もちろん私はベンチにいて負け確定のブザーを聞きながら涙を流す仲間を横目に誰にも言えなかったけどめちゃくちゃ嬉しかった。この生活が終わることが。
ちなみに未だに先生に退部届を持っていく夢を見るという…笑笑
今日はそんな切ないお話でした。
ま、後悔しないように生きた方が多分楽しいよねってことかな。
自分の本音ってわかったと思っても全然違ったりするから一度決めたことを途中でやめても、変えても、やっぱりまた始めても、自分がよく考えてそうしたなら全部正解だと思うし、周りがしてあげれるベストなことは基本的にその決断を応援してあげることだと思う。
な~んてね。ふわふわ主婦の戯言でした。
よ~し今日もいい日にしよう💛